仲間の声

「おりーぶに来てから」 Tさん

おりーぶに来た最初の頃は、何もわからず疎外感と孤独感でいっぱいの日々でした。 アルコール依存症と診断され、頭の中では「そうだったんだ」と思う反面、心のどこかで認めていなかった自分が居ました。

慣れない集団生活にも、自分の思っている事を素直に言えない自分にも嫌気がさして・・・。 自分の全部を否定されている気がして「これからの自分」を想うと不安ばかりの毎日でした。 ミーティングも何を言っているか全然わかりませんでした。そんな日々を過ごしている内に「あれっ?私と一緒かも・・・」が 「それわかる!私もそうやった!」に変わってきて、「同じような失敗してるなぁ~」と思うようになり、 「独りじゃない」と気付いて来れたと思います。

今は仕事も短時間の復帰をして1年になります。仲間とは違う人の中に居ても特に大きな不安を感じる事なく生活出来ています。 これからもう一段階ステップを上がりたいと思っています。おりーぶに来て1年9か月・・・すごく長いようで短いようで・・・。

今、私が思う事は「頑張らなくていい。もう今まで十分頑張ったから・・・。」「無理をする必要はないし、疲れたら休んで良いんだ。」 という事。他の人と比べる必要はないし「自分が自分らしく生きていける大切さ」まだまだ歩き始めたばかりですが、 一日一日ゆっくりと心穏やかに過ごせる日が続くように自分なりに前に進んで行きたいと思っています。 今日まで出会って来た仲間や支援して下さった皆様に「ありがとうございます」の感謝の言葉と 「これからも宜しくお願いします」を心からお伝えしたいと思います。

 

「窃盗症と摂食障害からの回復」  Mさん

私は複雑な家庭環境で育ちました。母は病気で寝たきり、祖父母が私を育ててくれましたが、 小学校の頃から祖父に虐待を受けるようになりました。毎日のように暴力的な言葉を聞かされ、 お金も取られたりして本当に気が狂いそうでした。それが原因かはわかりませんが、 高校生になってダイエットを始めた事をきっかけに摂食障害になり、毎日食べ物を万引きしては食べて吐くようになりました。 そして、生活リズムが狂い、高校を中退してしまいました。 食べ吐きはいっそうひどくなり、万引きする量もどんどん増えていきました。

一人暮らしやアルバイトを始めても過食嘔吐は止まらず、万引きで何度も捕まりました。 家の中は食べ物であふれ返っていたし、賞味期限が過ぎて食べずに捨てる事もあったのに、 それでも足りないと思い毎日毎日何度も盗みに出かけました。 罰金を2回支払い、裁判をし、執行猶予が付いても毎日止まる事はありませんでした。 そして2回目の裁判にかけられ、初めて留置所や拘置所に入り、そこで自分を見つめ直す時間が与えられ、 本気で人生をやり直したいと考えるようになり、「おりーぶ」に来る事を決意しました。

おりーぶでは毎日、自分の気持ちを吐き出すミーティングをします。 みんなで運動をしたり、ごはんを作ったりして家族のように過ごします。 自分にも人にも正直になれる場所です。たまには衝突もあったりしますが、それも自分のためになっていると思うし、 成長できているなぁと感じています。今は万引きは止まっています。 お金を払って買い物をするのが嬉しいし、店員さんにもありがとうが言える。 「おりーぶ」に来て、私にはたくさんの味方がいる事がわかりました。 つらい事もたくさんあったけど、こんな風に思えるようになれて本当に感謝です。

 

「ドラッグ漬けの10代」 マイメロさん

私は薬物依存症です。初めて手を出したのは、中学2年生の時でした。 その頃は、母親との関係や恋愛がうまくいかず心が落ちていました。 親友のママに安定剤をすすめられて飲みました。そこからガスや、酒と安定剤を一緒に服用したりしていました。 その後も止まる事も無く、中学3年生の時少年院に入る事になりました。 仮退院した後もすぐに家出を繰り返す生活に戻り、出会い系にハマり、出会った男性と沢山関係をもっていました。

ある日ある男性と知り合い大麻を吸うようになりました。そこから毎日のように大麻を吸い気持ちよく暮らしていました。 そして、覚せい剤もおぼえ最初は凄く幸せでしたが使っていくうちに量が増え、しまいには、気持ちよくもならず苦しかった。 そして、二度目の少年院に入る事になりました。もう欲求は無くなると思っていたのに、無くなりませんでした。 苦しい毎日で死にたかった。でも少年院である先生と出会い私の人生が少しずつ色づいていきました。

そして、私は施設に入る事を決断し「おりーぶ」に来ました。

正直色々しんどいです。依存症と毎日向き合い一日一日生活しています。 もちろん薬をしたい気持ちは消えません。もちろん向き合うのは苦しいです。でも仲間がいて毎日が楽しい!!!! やっと見つけた居場所です。もちろん今でも色々欲求が出たり嫌われているという妄想で苦しくなるけれど、 仲間やスタッフが支えてくれ今日一日を過ごせています。 色々あるけど、ここまで生きて来られてよかったです

 

家族の声

「回復を目指して」 Kさん

26歳になる娘は、アルコール依存症で1年前よりおりーぶにお世話になっています。

娘がアルコール依存症との診断を受けたとき、私自身も共依存という病気であると告げられました。 「共依存」という言葉を聞くのも初めてで、当初は「親として当然のことをやっているのに、そうして病気なの?、 私がやってきたことはいけないことなの?」と思いました。そして、娘は依存症治療の病院で入院治療を始め、 私は依存症の家族会に通い始めました。そこで初めて、自分自身が共依存であるということを認めることができるようになりました。

私は、娘がお酒を飲むこと、過食をすることを何とかやめさせたいと思い「なぜ飲む(食べる)の?、 どうしたら飲まず(食わず)にいられるの?」と言い続けました。 しかし、彼女の飲酒も過食も止まることはなく、心療内科からの処方薬を大量服薬することを何度か繰り返しました。 そして、ついには急性膵炎を発症し、入院治療することになりました。

今振り返ると、当時の私がしていたことは、説教したり、避難したり、叱ったり、涙を流して説得しようとしたりと、 依存症という病気にかかっている彼女に、飲む理由、過食する理由を与えていたことだったのです。 私のそうした態度や言葉が、病気をさらに悪化させていることに気づいていませんでした。

家族会で12のステップを知り、私自身の生き方や考え方を変えていくことを学び始めました。 依存症という病気にかかってしまった彼女に対して、回復を手助けするためにできることは、 娘に対する私の態度や対応を変えていくことだと気づきました。 でも、気づいたからっていって簡単なことではありませんでした。彼女が依存症治療の病院に入院中に「 退院しても、あなたと一緒に暮らせない」と伝えました。今までとは違う私の態度や言葉に戸惑う娘の姿を見て、 胸が張り裂ける思いでした。それでも、回復を信じて、同じ依存症の家族を持つ仲間に励まされながら、 繰り返し「あなたの事を大切に思っている。病気から回復するために、一人で暮らすか、中間施設に入所するか決めてほしい」と伝え続けました。 そして、彼女はおりーぶに繋がりました。

依存症という病気にかかる前は、私の生活は常に娘と共にありました。今、離れて暮らすようになってみて、 私自身も娘に依存しながら生活してきたのだと感じています。 おりーぶに入所してからは、ほとんど会うことはありませんが、ホームページで紹介される生活の様子やそこに写る娘の姿を、 離れた場所で見守っています。

これまでの私は、彼女が人生を行く道で転ばないように、平らになるように先回りして整えてきたように思います。 それが親としての愛情の注ぎ方であると思ってきました。

でも今は、でこぼこの道を歩いて、たとえ転ぶことがあっても、自分の力で立ち上がり、また歩き始めることができると信じ、 見守ることが、親としての愛情だと思うようになりました。それでも、時々ある彼女からの電話の際には、 世間一般の基準や私自身の価値観に合わせようとして話をしたり、先回りで心配したりと、 元の自分に戻っていると感じる時があります。自分自身の考え方や態度を変えていくことの難しさを日々感じていますが、 あせらず少しずつ変わっていけると良いと思っています。 娘はアルコール依存症からの回復を目指して、そして、私は共依存からの回復を目指して、 ゆっくりでも歩いていけると良いと思っています。

 

LIBERTY WOMEN'S HOUSE OLIVE

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