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仲間と家族の声VOICE OF FRIENDS

回復者の声

おりーぶ卒業生 みきさん

依存症のみきといいます。 私は以前、おりーぶでお世話になっていた利用者の一人です。

私がおりーぶに繋がったのは、アルコール依存症が原因で精神病院へ入院したことがきっかけです。 その当時のことは今では笑って話せる内容なのですが、当時はもちろん笑い話ではありませんでした。 精神病院へ入院したのは24〜25歳の頃でしたが、そのころの私は寝ている時間以外はずっとお酒を飲んでおり、 素面でいる時間はほぼなかったと思います。

今でもその時飲んでいた焼酎のパッケージや匂いを嗅ぐと気分が悪くなります。 ですが、当時はそれを飲んでいないと生きていない(=正気を失っていないと生きていけない)と信じ込んでいました。

この時期やらかしたことはさまざまで、私自身が覚えていなかったり(茶飯事に思えて)印象が薄かったりすることも多々あります。 おりーぶに来てからも半年後くらいにODをしていたと先日言われて、やっと思い出したぐらいなので、自分でも笑ってしまいます。

おりーぶを出てそこそこの年月が経ち、私も周りから「大人になった」や「 自分がある」というようなことを言っていただけることが多くなりました。 それまでは「まだ子どもだから」や「自分に自信をもちなさい」と言われることが多かったのですが、 今ではあまりそう言われることはありません。 24歳でお酒を飲んで入院したりODを繰り返していた私と、今の私は地続きの同じ私なのですが、 言われる言葉が違うのは、私が変わったからなんだろうと思っています。

24歳の私はとても生きることつらく、お酒を飲んでいないと生きていけませんでした。周囲の目というか、 「周りは私をこう思っているんじゃないか」という妄想がとても気になって、振り回されて、生きづらかったのです。

しかし今は、そういう「周りはこう思っているんじゃないか」の妄想に振り回されていません。 その妄想から脱出できたのは、自分の考え方や物事の捉え方(認知)が変わったからだと思っています。 私はやっぱり、24歳のアルコール依存だった私から地続きの私なので、自分が嫌になったりつらい、 しんどい気持ちに陥ってしまいそうなときはあります。 ただおりーぶを経て私が身に着けたものは、そういう自身との付き合い方です。

私は春と秋の曖昧な季節が苦手なので、そういう季節は無理な予定をたてたり、 仕事や人との付き合いで自暴自棄にならないように注意しようと自分に言い聞かせます。 よくわからないけれど悲しかったり、苦しかったりするときはとりあえずご飯を食べて、よく寝て、体を休めてから考えます。 お酒が飲んでみたいなと思ったときは、地獄のようだった24歳のときの自分の生活を思い出します。 私が「大人になった」と表現されることの一つは、おそらくこういう自分との付き合い方やコントロールの仕方を覚えた、 自分をあやすことを覚えたというところなのかなと思います。

仲間の声

「おりーぶに来てから」 Tさん

おりーぶに来た最初の頃は、何もわからず疎外感と孤独感でいっぱいの日々でした。 アルコール依存症と診断され、頭の中では「そうだったんだ」と思う反面、心のどこかで認めていなかった自分が居ました。

慣れない集団生活にも、自分の思っている事を素直に言えない自分にも嫌気がさして・・・。 自分の全部を否定されている気がして「これからの自分」を想うと不安ばかりの毎日でした。 ミーティングも何を言っているか全然わかりませんでした。そんな日々を過ごしている内に「あれっ?私と一緒かも・・・」が 「それわかる!私もそうやった!」に変わってきて、「同じような失敗してるなぁ~」と思うようになり、 「独りじゃない」 と気付いて来れたと思います。

今は仕事も短時間の復帰をして1年になります。仲間とは違う人の中に居ても特に大きな不安を感じる事なく生活出来ています。 これからもう一段階ステップを上がりたいと思っています。おりーぶに来て1年9か月・・・すごく長いようで短いようで・・・。

今、私が思う事は「頑張らなくていい。もう今まで十分頑張ったから・・・。」「無理をする必要はないし、 疲れたら休んで良いんだ。」 という事。他の人と比べる必要はないし「自分が自分らしく生きていける大切さ」 まだまだ歩き始めたばかりですが、 一日一日ゆっくりと心穏やかに過ごせる日が続くように自分なりに前に進んで行きたいと思っています。 今日まで出会って来た仲間や支援して下さった皆様に「ありがとうございます」の感謝の言葉と 「これからも宜しくお願いします」を心からお伝えしたいと思います。

「窃盗症と摂食障害からの回復」 Mさん

私は複雑な家庭環境で育ちました。母は病気で寝たきり、祖父母が私を育ててくれましたが、 小学校の頃から祖父に虐待を受けるようになりました。毎日のように暴力的な言葉を聞かされ、 お金も取られたりして本当に気が狂いそうでした。それが原因かはわかりませんが、 高校生になってダイエットを始めた事をきっかけに摂食障害になり、毎日食べ物を万引きしては食べて吐くようになりました。 そして、生活リズムが狂い、高校を中退してしまいました。 食べ吐きはいっそうひどくなり、万引きする量もどんどん増えていきました。

一人暮らしやアルバイトを始めても過食嘔吐は止まらず、万引きで何度も捕まりました。 家の中は食べ物であふれ返っていたし、 賞味期限が過ぎて食べずに捨てる事もあったのに、 それでも足りないと思い毎日毎日何度も盗みに出かけました。 罰金を2回支払い、裁判をし、執行猶予が付いても毎日止まる事はありませんでした。 そして2回目の裁判にかけられ、 初めて留置所や拘置所に入り、そこで自分を見つめ直す時間が与えられ、 本気で人生をやり直したいと考えるようになり、 「おりーぶ」に来る事を決意しました。

おりーぶでは毎日、自分の気持ちを吐き出すミーティングをします。 みんなで運動をしたり、ごはんを作ったりして家族のように過ごします。 自分にも人にも正直になれる場所です。 たまには衝突もあったりしますが、それも自分のためになっていると思うし、 成長できているなぁと感じています。 今は万引きは止まっています。 お金を払って買い物をするのが嬉しいし、店員さんにもありがとうが言える。 「おりーぶ」に来て、私にはたくさんの味方がいる事がわかりました。 つらい事もたくさんあったけど、 こんな風に思えるようになれて本当に感謝です。

「ドラッグ漬けの10代」 マイメロさん

私は薬物依存症です。初めて手を出したのは、中学2年生の時でした。 その頃は、母親との関係や恋愛がうまくいかず心が落ちていました。 親友のママに安定剤をすすめられて飲みました。 そこからガスや、酒と安定剤を一緒に服用したりしていました。 その後も止まる事も無く、中学3年生の時少年院に入る事になりました。 仮退院した後もすぐに家出を繰り返す生活に戻り、出会い系にハマり、出会った男性と沢山関係をもっていました。。

ある日ある男性と知り合い大麻を吸うようになりました。そこから毎日のように大麻を吸い気持ちよく暮らしていました。 そして、覚せい剤もおぼえ最初は凄く幸せでしたが使っていくうちに量が増え、しまいには、気持ちよくもならず苦しかった。 そして、二度目の少年院に入る事になりました。もう欲求は無くなると思っていたのに、無くなりませんでした。 苦しい毎日で死にたかった。でも少年院である先生と出会い私の人生が少しずつ色づいていきました。

そして、私は施設に入る事を決断し「おりーぶ」に来ました。

正直色々しんどいです。依存症と毎日向き合い一日一日生活しています。 もちろん薬をしたい気持ちは消えません。 もちろん向き合うのは苦しいです。でも仲間がいて毎日が楽しい!!!! やっと見つけた居場所です。 もちろん今でも色々欲求が出たり嫌われているという妄想で苦しくなるけれど、 仲間やスタッフが支えてくれ今日一日を過ごせています。 色々あるけど、ここまで生きて来られてよかったです。